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第三章 遠吠えは闇に木霊する
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 ここからはほぼ真北に位置するジャワの名峰ムラピ山が朝に霞んで淡いシルエットを遠くに残す。この半年というもの変わらずに西から東へと棚引いていたその噴煙は、季節の移ろいと共に東から西へと向きを変える。
 年に二回、決まった時期に風向きを異にする季節風にのってインドネシアの地を訪れてから早幾年。帰る風をつかまえそこねて長逗留が続いている。それはまるで東西交易史の中に現れるいつかの船乗りたちのようなもの。火口からわずかに立ち昇る煙は風を受けて静かに散らばりながら西へと広がっていく。そしてその風はジャワ島を越えてユーラシア大陸の東側をすべるようにやがては日本へとたどり着く。
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 夜、机に向かっていると遠くからダランの朗誦が耳に届く。外に出て耳を傾けてみても声はもうどこからもやっては来ない。部屋に戻ってしばらくすると、今度は青銅を打ち鳴らすガムラン独特の調べが流れてくる。再び外に出てさっきよりもずっと慎重に耳を澄ませてみるけれど、聞こえてくるのは暗がりにまぎれた蛙の鳴き声と人気のない小道をいくバイクの音ばかり。耳の奥にかすかに残ったワヤンの名残は夜の静寂が訪れると幾度となく活気付いて賑わいを取り戻す。
 その男はただ黙ってこちらを見詰めていた。長過ぎもせず短過ぎもしない頭髪と、あごから口元にかけて蓄えられた髭がその男の年齢をいかようにも見せることができたが、浅黒く焼けた肌は幾分痛んでいて艶を失い、そこからは次第に断片化していく若さのかけらのようなものを感じさせた。中肉中背の中年という以外にこれといった特徴を持たないその男は何かを語りかけるわけでも訴えるわけでもなくそこに佇み、瞳の奥には鈍い光を湛えながら変わらずにこちらを見ている。時折その視線に耐えかねてそらす目線も、もとより行くあてなどなく、結局は再びその男へと向けられていく。どれほどの時間が費やされようともその男からは決して逃れることができないという事実と、それでもその男のことを完全には受け入れることができないという想いが、わだかまりとなって自分の中に暗くて重い部分を作りだす。姿見に映ったその男の姿に時の流れを感じると共に、そこにいたであろうはずの別の男の姿を思い浮かべてみるが、今はもうそれもできない。
 ここに来てすっかり猫派のような顔をして生きておりますが、だからと言って人に明言できるほどの猫好きかといえば決してそういうわけでもなく、熱狂的な猫支持の方々からすれば甚だ煮え切らない態度に思えることでしょう。ただはっきりしている事は犬のように突然吠えたりする生き物が私は昔から不得手で、町内を散歩していると何度通ってもこちらの顔を覚えようとしない近所の犬に、これまた何度通っても新鮮に驚かされてしまう自分が吠え立てられるというような経験を繰りかえす内に、犬というやつに如何ともしがたい苦手意識を持ってしまったわけです。
 ジョグジャカルタに住んでいると犬や猫の他にも山羊だの水牛だの馬だのがあって、連中は猫と一緒で吠えないところが実にいい。そればかりかおっとりとした表情に控えめな眼差しで見詰められると、いつの間にやら柔らかな気分になっておりますから、それはたいそう幸せなものです。こちらでも野良犬なんぞが道端をフラフラしていることもあって、そんな時は内心穏やかではありませんが、吠えられぬようにそ知らぬ顔で目を合わさず、バイクで走り去るというような術も身に付きまして、我ながらずいぶん立派な大人になったものだとしみじみ思うのです。
 インドネシア語では固有名詞の普通名詞化がしばしば起こる。ある普通名詞を代表する製品やその製造元の名前が広く社会に浸透して一般化されることで、本来は固有名詞の単語が普通名詞として使われるようになるのだ。例えばスクーター型バイクなら製造元を問わずに「ホンダ」だし、電動ポンプなら「サンヨー」、耕作機なら「クボタ」でミニバスなら「コルト」、圧力鍋なら「プレスト」でアンカーボルトなら「フィッシャー」と言った具合に。変わったところだとカリカリの衣の付いた揚げ物のことを「ケンタッキー」なんて呼んだりもする。だとするとタイヤは「ブリヂストン」で「ブリヂストンがパンクした」とか、プリンターは「エプソン」で「エプソンの調子が悪い」なんて言葉を耳にする日も・・・。
 ここ数年の偽札の増加にインドネシア国銀が頭を悩ませている。5年前には100万枚に7枚の割合で混入していた偽札が一昨年には8枚、今年の調査では9枚に達していたことが判明した。100万枚に9枚。これだけを見れば取るに足りない数のようにも思えるが、生活の中で遭遇する偽札、あるいはそれと疑わしき紙幣の実数はこの値を遥かに上回っているとの印象を強く受ける。なぜなら例えば公共料金の支払窓口で、レストランでの勘定の際に、はたまた買い物を終えたレジで10万ルピアや5万ルピアのような高額紙幣を手渡した時、その紙幣があからさまに拒絶され、つき返されて他のものへの交換を促される経験を繰りかえす内に、数の上では僅かなはずの偽札が実は社会の中にかなり蔓延していて、それを掴まされぬように人々は多かれ少なかれ注意を払っていることに気が付くからである。
 もし不運にも偽札を手にしてしまったらチェック機能の甘い小さな商店や、不特定多数の人が訪れて客の回転も速いガソリン・スタンドのような場所で使ってしまおうというのが恐らく一般的な考え方である。紙幣を偽造しているならばいざ知らず、ただそれを使用した場合の罰則は無きに等しいこの社会では、偽札を偽札だと認めて流通をやめてしまった人にこそ損害が発生するので、普通は簡単にそれを認めたりはしない。それ故に偽札を受け取ってしまった人はそれと気取られぬように別の人にその偽札を引かせるように努め、そうして偽札を手にしてしまった次の人もまた同様な努力を繰り返して自分の手元からそれをなくそうと試みる。言うならば社会全体で参加する壮大なババ抜きのようなものである。この結果、偽札は社会の中で紙幣価値を維持しながら流通し、どんなに国銀が頭を抱えようとも、偽札は本物らしく社会をまかり通っていくのである。
 世界的な観光地として知られるバリ島では年を追うごとに田んぼや畑が消失し、ホテルやヴィラ、ロスメン(安宿)へと姿を変えている。のどかな田園風景の中で過ごす穏やかな時の流れも過去のものとなりつつあり、今では古き良き時代のバリの面影を留めるわずかばかりの田んぼを囲んで、立ち並ぶホテルやヴィラがかろうじてその名残を分ち合っているに過ぎない。既に許容量を遥かに超える数の宿泊施設が存在するにも関わらず、歯止めの利かない観光事業への投資は農業用地の減少とそれに伴う自然環境への悪影響をもたらし、生態系にも大きな打撃を与えている。このような状況を重く受け止めたバリ州政府は先日、規模の大小を問わず、これ以降バリ島全域で新規の宿泊施設の建設を認可しない方針を固めた。昨年までに発行された建設許可証については有効とするものの、今後この政策は無期限で実施されていくとの見通しである。有識者の間ではこの政策を遅すぎる決断と見る向きもあるが、何かと言っては後手に回って取り返しのつかない事態を招くことの多いインドネシアにおいては比較的速やかで適切な処置であったと考えたい。
 KOMPAS ※1の伝えるところによれば、来る4月9日に投票日を迎える今回のPEMILU ※2で、DPR ※3の立候補者はその選挙活動のために平均で1M ※4の資金を必要とすることが判明した。この内訳は街頭の巨大看板の設置費、新聞への広告掲載料、ポスターの印刷代、支持者に配られるTシャツの制作費、選挙区で行われる様々な社会活動に要する資金、支援団体の調整役に支払われる人件費などであると言う。インドネシアの所得や物価から考えれば破格と言えるこの先行投資を回収しようと、議員になった候補者たちが躍起になって向こう5年を駆けずり回るのは火を見るよりも明らかである。あるいは議員になった暁にはその投資を十分に上回る利益が約束されているからこそリスクを抱えても立候補するのかも知れないが、いずれにせよ近年の癒着や汚職を撤廃しようとするインドネシア社会の取り組みに対してこのような多額の資金を要する選挙システムそのものが矛盾している。わずか一握りの金持ちによるお祭り騒ぎにならないように、また次の政治腐敗の根を断ち切る為にもこのような選挙活動の在り方そのものを見直さなければならない。

※1 インドネシアの知識人向けの全国紙で世論への影響力が大きい。
※2 PEMILUはPemilihian Umumの略で総選挙のこと。
※3 DPRはDewan Perwakilan Daerahの略で国民議会、国会のことを指す。
※4 1Mとは1 Miliar、つまり1,000,000,000ルピアのことで、現在の為替レートで日本円に換算するとおよそ8,500,000円。
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