第三章 遠吠えは闇に木霊する
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ここに来てすっかり猫派のような顔をして生きておりますが、だからと言って人に明言できるほどの猫好きかといえば決してそういうわけでもなく、熱狂的な猫支持の方々からすれば甚だ煮え切らない態度に思えることでしょう。ただはっきりしている事は犬のように突然吠えたりする生き物が私は昔から不得手で、町内を散歩していると何度通ってもこちらの顔を覚えようとしない近所の犬に、これまた何度通っても新鮮に驚かされてしまう自分が吠え立てられるというような経験を繰りかえす内に、犬というやつに如何ともしがたい苦手意識を持ってしまったわけです。
ジョグジャカルタに住んでいると犬や猫の他にも山羊だの水牛だの馬だのがあって、連中は猫と一緒で吠えないところが実にいい。そればかりかおっとりとした表情に控えめな眼差しで見詰められると、いつの間にやら柔らかな気分になっておりますから、それはたいそう幸せなものです。こちらでも野良犬なんぞが道端をフラフラしていることもあって、そんな時は内心穏やかではありませんが、吠えられぬようにそ知らぬ顔で目を合わさず、バイクで走り去るというような術も身に付きまして、我ながらずいぶん立派な大人になったものだとしみじみ思うのです。
ジョグジャカルタに住んでいると犬や猫の他にも山羊だの水牛だの馬だのがあって、連中は猫と一緒で吠えないところが実にいい。そればかりかおっとりとした表情に控えめな眼差しで見詰められると、いつの間にやら柔らかな気分になっておりますから、それはたいそう幸せなものです。こちらでも野良犬なんぞが道端をフラフラしていることもあって、そんな時は内心穏やかではありませんが、吠えられぬようにそ知らぬ顔で目を合わさず、バイクで走り去るというような術も身に付きまして、我ながらずいぶん立派な大人になったものだとしみじみ思うのです。
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