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第三章 遠吠えは闇に木霊する
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COEDO Kyara

 埼玉県の川越で生まれたビール。COEDOは小江戸で、アルコール度数は5.5%。栓を抜くと甘いアロマホップの香りが広がる。澄み切ったブロンズ色は目に鮮やかで、炭酸は適度だが、泡の肌理はやや粗い。飲み口は甘く、徐々に心地よい苦味が口の中に広がり、やがて舌先だけにその痕跡を残していく。冷やしすぎるとその奥行きが見えないが、ゆっくりと味わうことで、時間の経過と共にその広がりを感じられる。誰かとじっくり語る傍らにありたいビールだ。どれほど景気が上向いているか知らないが、普段は発泡酒を強いられる庶民の懐には300円近い値段はやっぱり厳しい。
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 「今日は金環日食らしいよ」「ふぅ~ん」と言った程度で始まった朝。観察用グラスを手にして今か今かと待ちわびる各地の子供の様子を映しだすテレビの中継にもどこか上の空。それにしても既に日が昇っているというのに嫌に暗い。いや、暗くはないが「あかるくらい」といった妙な感じ。晴れるか曇るかはっきりせい。洗濯機を回すかどうかを決めかねる。朝食支度を終えた食卓には新緑の紅葉の合間を抜け落ちる木漏れ日がユラユラと半月形。半月系?「あれ、これって金環日食のせい」「おっ、おおぉ~!!」それから沸き立つことしばらく。その盛り上がりは他の人とまったく同じ。意外と侮れぬ天体ショーとミーハー精神に驚く。
Stark Dark Wheat Beer

 バリ島シンガラジャ産のビール。アルコール度数は5%ほど。グラスに注いだときの香りが高く、濁った褐色は深い焙煎を思わせる。口に広がる軽い酸味と、すっきりした後味は悪くない。けれども正直どこか物足りない。サークルKで売値2万6千ルピアのスターク・ビールだが、以前に紹介したものなら値段の割にお得だと思えるのに、これだと割高に感じる。好みの問題だけでもなさそうだ。
 ジャカルタ周辺やバンドゥンにあるBlitzmegaplex系の映画館でシャールク・カーン主演の「Ra. One」の公開が始まった。シャールク・カーンと言えば、数ヶ月前にスラウェシ島のゴロンタロの警察機動隊員がシャールク主演の「Dil Se」の有名な一場面を真似たことで、間接的にではあるが脚光を浴びたばかりである。その記憶も新しい内に公開されたこの映画は、インドネシアに入ってくるインド映画としては珍しく、封切前にテレビでコマーシャルが流されたり、インフォテイメント系の番組で盛んに取り上げられたりするなど、プロモーション活動に余念がなかった。同じシャールクが主演する2010年公開の「My Name is Khan」では、この映画がインドネシア各地にあるCinema 21系の映画館で上映されたにも関わらず、それほど大きな宣伝が行われなかった事と比べると随分な違いである。インド映画好きとしては豪華なキャスティングやCGを駆使したトレイラーに興味をそそられないと言えば嘘になるが、ヒンディー映画初の本格的SFヒーローものであることや、またこれまでのインド映画に比べて破格の制作費であるらしいことに何やら引っ掛かるものがある。そんなこともあって素直に映画館へ足を運ぶ気になれずにいる訳だが、たとえ出掛けて行ったとしても、そもそもジョグジャの映画館では上映すらされていないのだから話にならない。普段は悪の巣窟ぐらいに思っている首都ジャカルタ暮らしが羨ましく思えるのはこんな時だ。
 さて、日本では「ムトゥ踊るマハラジャ」の印象があまりに強かった為か、インド映画に対しては多分に偏った先入観が出来上がっているように思える。あたり前の話だが、一口にインド映画と言っても多種多様で、いきなり訳も分からずに踊りだすわけではもちろんない。一年間の制作総数においてハリウッド映画を上回り、ハリウッド映画に比べれば実に小さな制作費で、質的には勝るとも劣らない名作を作り続けている。日本で大々的に公開されてこなかったのがむしろ不思議なほどである。少し前からリンクを張らせて貰っている「ポポッポーのお気楽インド映画」はそんなインド映画の魅力を紹介する貴重なサイトだ。興味のある方はぜひ一度覗いて頂きたい。ただそこで興味を持った映画があったとしても、インドネシアならいざ知らず、日本でどのようにしてそれらの映画を手に入れたら良いのかは頭を抱えてしまうところである。
Stark Wheat Beer

 バリ島シンガラジャ産の小麦のビール。アルコール度数は5%ほど。ちょっと発砲が強く、泡の肌理も粗い感じがするけれど、味も香りもヒューガルデンに似た、とても爽やかで美味しいビール。ラベルのデザインもいい。高嶺の花だったヒューガルデンのスタイニーボトルの半分以下の値段で買えることを考えるとコストパフォーマンスも高い。気に入った。
 車内は冷蔵庫のように寒いし、二段ベッドの上の金具は外れかけていて落ちそうだし、おまけにコンパートメント内のトイレは水が流れないし…。楽しかったなぁ。巡回してきた車掌さんに事情を話したら、乗車賃の一部を払い戻しすると約束してくれたけど、終着駅で再び顔を合わせたら「トイレが流れなかったのはあなたのところだけだったよ」と高らかに笑いながらあっさりと水に流されてしまった。流れて欲しいのはそっちじゃなかったのに。本当に楽しかったなぁ。
自己相似的でありながら、少しだけ異なる構造を持つ社会単位が無数にくっつき、より大きな相似的な社会組織を形成していくこと。そうやって形成された社会。

 暑い、汚い、危ないと言った既存の市バスが持つネガティブなイメージを払拭すべく登場した都市型のバス・サービス、トランス・ジョグジャが営業を開始してから3年半が経過した。数年振りにアディスチプト空港からマリオボロ通りまでをこの交通手段を使って移動してみる。普段から目にすることはあっても乗る機会は少ないトランス・ジョグジャに久し振りに乗車してみると、3年半という月日がこれほどまでに長きものだったのかと思えるほどに車内はくたびれている。いや、露骨におんぼろだ。乗降口の戸は開閉の度にぎこちなく軋み、車体が上下すると走行中にも関わらずじわじわと開いてくる。固定金具の緩んだプラスチック製のシートはがたつき、所々で大きくひび割れていて、それと知らずに腰掛けて服など引っ掛けようものなら、席を立つ際にビリッとやってしまいそうだ。以前はインドネシア語と英語で流されていた車内アナウンスは、いつの間にやら運転手好みの歌謡曲のメドレーへと代わり、押し付けがましく狭い密室の中を流れている。冷房完備のはずの車内は強い陽射しが照りつける車外よりは涼しくなく、エアコンを前提とした嵌め殺しの窓がかえって仇となって外の空気も入って来やしない。綺麗、安全、快適を売りにしたトランス・ジョグジャではあったが、今では悪名高き市バスとほとんど変わらぬ有様である。営業開始からたったの3年半でここまで設備を劣化させるのはある意味凄いことのようにも思えるけれど、日本から購入した中古の電車がインドネシアで運行を始めると、数年も経たない内に激しく老朽化する事実を考えると、その事自体は驚くには値しないのかもしれない。ただ何事につけても維持・管理が本当に下手な人々なのだなと思いはするのだけれど。維持・管理を担う運営者側の問題に加えて、自分たちの快適さのみを主張して批判ばかりを重ねる割には他の利用者のことを気に掛けようとはせず、公共の設備に対する責任を決して負おうとはしない利用者の存在が事態をさらに悪化させているのも確かである。問題は常に運営者側にも利用者側にもある。いずれにせよ、市民生活や観光客の足として定着しつつあり、市バスにはない利便性を備えるトランス・ジョグジャだけに、維持・管理にはもっと気を配ってこれから活躍していって欲しいと願う。
 断食月も残すところ数日となった辺りから徐々に帰省を始めた人々は、故郷で家族や旧友との憩いの時を過ごす。束の間の休息を終えると、再びそれぞれの仕事が待つ場所へと足早に帰っていく。土曜日と日曜日、祝日と半公的な休日を合わせれば1週間ほどになるレバランの連休を終えた仕事始めの今日、町はいつもの喧騒を取り戻し、再び忙しない日常が動き出す。ただし公務員はその限りではない。
 普段にも増してガランとした役場には、職員の数が明らかに少ない。それもそのはずで、毎年レバランの連休明けには、どこの地方自治体でも無断欠勤や計画的な病欠、にわか出張や遅刻が相次ぎ、職員の数が激減する。一年間待ち侘びたこの連休を一日でも長引かせるためにはどんな手段をも厭わないというのが彼らの身上らしい。たとえそれが公務を蔑ろにしようとも。
 公僕とは思えぬ彼らのそのような職務姿勢には随分前から多くの批判が寄せられてきた。事実、事態を重く受け止めた地方自治体の中には対処に乗り出すところも少なくなかった。例えば、無断欠勤の多い連休明けに二日続けて出勤した者に対して、特別報奨金を与えることで事態の改善を試みようとした地方自治体がある。その甲斐もあって、この自治体では翌年にはこの時期の欠勤率を飛躍的に下げることに成功したのだが、それ以降は報奨金目当てに連休明けにだけ出勤し、続く三日目以降に無断欠勤する者が後を絶たず、このやり方を見直さざるを得なくなった。そもそも普通に出勤するだけで報奨金が貰えるというのが間違っているとは誰も思わずに、報奨金が貰えるのならサボリも返上と考えるあたりからして、彼らのモラルは推して知るべしと言ったところである。またれとは逆に、欠勤・遅刻した者には減給などの罰則を科すところもあったが、軽い罰則などはまったく気にも留めなかったり、罰則を逃れるために虚偽の欠勤届を出す者まで現れたりして、かえって事態を悪化させたりもした。そんな訳で文字通り底の知れぬ公務員のモラルの根本的な改善には今以って至っていない。
 今年も各地の役場の様子がニュースで伝えられる中、昨年と大して変わらぬ光景が映し出されていく。役場の正門を閉ざして遅刻した職員が中に入れぬようにしたり、無断欠勤の多い部署の職員に連帯責任として腕立て伏せをさせたり、上司が虚偽の欠勤届を職員の前で大げさに破いて見せて説教をしたり、怠惰な職員に反省文を書かせたりと、若かりし頃の学生生活をありありと思い出させるような光景が繰り広げられている。これを見ていると、サボる方がサボる方なら、取り締まる方もまた取り締まる方といった感じもしてくる。いずれにせよ、手続きをしに役場を訪れた一般市民がなぜか閉ざされた正門を前に呆然と立ち尽くす羽目に陥ったり、職員が反省文を書き終えるのを延々と待たされたり、イライラする上司のとばっちりを受けたり、あるいは一緒に腕立て伏せをさせられたりしなければ良いなと思う。そういえば隣のおばちゃんは公務員だけど今朝出勤した様子はない。
厳しい減量の最中、道に落ちているかりんとうを見つけても喜び勇んで手を伸ばすな。それは犬の糞に他ならない。「最中」を「もなか」と読んだ人はなおのこと気をつけろ。既にその予備軍だ。
 イスラム教国家ではないにも関わらず、8割を超える国民がイスラム教を信奉し、世界のムスリムのおよそ2割を占める2億人ものイスラム教徒が暮らすインドネシアでは、日常的な挨拶はイスラム式である。朝、昼、夕方、晩の挨拶に加えて、誰かの家を訪ねたり、少し改まった席で人と会ったり、電話で相手に呼び掛けたりする際にはごく自然に「アッサラーム・アライクム (Assalam Alaikum)」、「ワライクム・サラーム (Walaikum Salam)」の言葉が交わされる。これは「あなたに平安あれ」といった意味合いの言葉で、イスラム教徒が日常的に使う挨拶である。一昨日折り返しを過ぎたばかりの断食月のように、にわかに信仰心が高まり、一年の中でもイスラム色がぐっと濃くなるこの時期には、いつにも増してこの言葉を聞く機会が多い。一般的にはイスラム教徒の間で交わされるこの挨拶ではあるが、言葉の意味からすればムスリムかどうかによらず、誰が口にしても不自然ではない。もし何かの折にあなたがイスラム圏を訪れる機会があるのなら「アッサラーム・アライクム」と始めてみよう。あるいは「アッサラーム・アライクム」と声を掛けられたら「ワライクム・サラーム」と答えてみよう。きっと相手はあなたにより親しみを覚えてくれることだろう。余談だが、この謎めいた呪文のような言葉は、そのままカタカナ読みをせずに「アッサラーム・アライクム」は「サラマレクン」と、「ワライクム・サラーム」は「ワレクンサラム」と一口に言ってやると良い。この言葉が少しだけ覚えやすくなるばかりか、音の強弱やイントネーションがオリジナルに近くなって相手にも伝わりやすい。昔お世話になった人からの請売りではあるのだけれど。
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