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第三章 遠吠えは闇に木霊する
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 ある日を堺にそれはポツリと現れた。背丈は2尺ほど。ずんぐりとした胴体にうずくまるようにして大きな頭が乗っかっている。手足は短く、丸々としていて、驚くほどに肉付きがよい。血行も良い。顔は白くてまん丸。目も丸くておまけに鼻まで丸いが、口も耳もあるのだから、のっぺらぼうよりはとっつきやすい。やけに短く切りそろえられた前髪に比べると頭のてっぺんの毛が極端に長く、それがトサカのように逆立っている。その毛も後頭部に向かう頃には大きな渦を描きながら静かに寝そべっていく。
 耳にかかる毛をグリグリと弄んでは、思い出したように辺りを転がる。おもむろに手を振り上げて虚空を掴んでは、その感触を確かめるように同じ動作を繰り返す。目が合うと不思議そうな顔をして一瞬動きを止めるが、すぐに顔を歪めてそっぽを向く。ゴロゴロする。何にイラついているのか、忙しなくあたりを見回しては、時々吠えるような奇声をあげる。「ウーババ」、「ウーババ」と。
 ウーババは噛みつくわけでもなければ、別段悪さをするわけでもない。たまに腰掛けたり、たまに寝転んだり、たまにひっくり返ったりしている。人の時間の流れとは大よそ無関係に日がな一日そうしている。あたりを見渡しながらひどく聡明な顔をしたり、とても気難しい面持ちになったり、あるいはどうしようもなく間の抜けた表情をしたりしている。その姿は物思いに耽っているようにも思えるし、呆けているようでもあるし、世界と自分の距離を測りかねているようにも見える。けれども真意のほどは分からない。もしかしたらただ眠いだけなのかもしれない。はっきりしたことは何も分からない。
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 三毛猫だからミケとはあまりに安易な話だが、実際にそう呼んでみると一番しっくり来るのだから仕方がない。小さな頭から伸びる体は下の方で少しだけもっさりしていて、跳ね上がった毛が所々でそっぽを向いている。小柄でまだあどけないようにも見えるけれど、これでも既に二桁の子猫を生んだベテランである。胴から前足にかけての黒毛の広がりがバランス良く、結果として佇まいに優雅なところを残す猫に仕上がったのは、人間と付かず離れずの生活を送るミケにとっては幸いだったかも知れない。暗がりで目にした時の愛らしさはどこの猫でも同じだが、明るいところで見せる神妙な顔に潜む、どこか歯抜けてひょうきんな表情はミケだけの魅力となっている。
 我が家の周囲を飼い猫きどりで行き来するこの三毛猫は、おおよそいつも腹を空かせている。人に会えばメシの一つも出てくるだろうと固く信じている節があって、近隣で玄関の戸があく音を聞きつけては小走りにそちらへと向かっていく。幼少の頃の私も同じようなことをしていたと言うから、この辺りに猫も人もないのかも知れない。野良猫なのだからそこいらに幾らでもいるネズミでも掴まえて食べれば良さそうなものを、しばらく何もやらないとずんずん痩せる。それでも放っておくと、いよいよ身をやつして弱々しく鳴きながら、わざわざうちの前を徘徊して見せたりする。さすがに見兼ねて外で食べた魚の残りを持ち帰ってやると、それに気付いたミケは半狂乱で駆け寄ってくる。頭と尻尾、それに少々身の残った骨とはいえ、もとは1kg近くあった大きな淡水魚である。ミケの体からすれば随分なご馳走には違いない。ご近所さんが聞いたら猫泥棒か動物虐待かと疑われてしまいそうなほど闇雲に鳴き散らすミケを何とか御しながら、手土産に包んだ魚を袋から取り出す。
 ところが、である。このミケという奴はそれまでどんなに腹ペコでも、宛がわれた餌に焦ってがっつくような真似は決してしない。それが焼き魚でもエビフライでも照り焼きチキンでも、まるで決まり事か何かのように、目の前に出された餌をまずは不思議そうに眺めて見せる。幾度かこちらの顔と餌とをチラチラ眺めながら、それでも餌には手を出さずに待ち続けている。もしかしたらもっと良い何かが後から出てくるとでも思っているのかもしれない。これ以上は何も出ないことがようやく分かると、今度は恨めしそうに、しかも幾らか避難がましくこちらに一瞥を浴びせる。そうしてから、ようやく与えられたものに手を着け始める。「だってこれ、あなたの残飯でしょ?」と言わんばかりに渋々と。これでは餌をやる身としてはまったく合点のいかない話で、もう何も持ち帰ってやるものかと心に誓う。誓いはするのだが、一度食べ始めてしまえばそれまでの気高さも意味をなさず、フガフガと下品に歓喜の声をあげながら勢いよく食べるミケの姿を見ていると、何となくまぁいいかと思えてしまうのだから猫はずるい。いや我ながらミケには甘いと思う。
 しばらくして餌のあった場所を見ると、辺りには魚の鱗と砕けた骨が散乱している。その傍らでは半身になったミケが寛いで満足げに舌舐りをしている。こちらの目線に気が付いたミケは、少しばつが悪そうに背中を向けて視線をそらす。念入りに毛繕いをするミケの毛の白がさっきより冴えて見える。
 その男はただ黙ってこちらを見詰めていた。長過ぎもせず短過ぎもしない頭髪と、あごから口元にかけて蓄えられた髭がその男の年齢をいかようにも見せることができたが、浅黒く焼けた肌は幾分痛んでいて艶を失い、そこからは次第に断片化していく若さのかけらのようなものを感じさせた。中肉中背の中年という以外にこれといった特徴を持たないその男は何かを語りかけるわけでも訴えるわけでもなくそこに佇み、瞳の奥には鈍い光を湛えながら変わらずにこちらを見ている。時折その視線に耐えかねてそらす目線も、もとより行くあてなどなく、結局は再びその男へと向けられていく。どれほどの時間が費やされようともその男からは決して逃れることができないという事実と、それでもその男のことを完全には受け入れることができないという想いが、わだかまりとなって自分の中に暗くて重い部分を作りだす。姿見に映ったその男の姿に時の流れを感じると共に、そこにいたであろうはずの別の男の姿を思い浮かべてみるが、今はもうそれもできない。
 ここに来てすっかり猫派のような顔をして生きておりますが、だからと言って人に明言できるほどの猫好きかといえば決してそういうわけでもなく、熱狂的な猫支持の方々からすれば甚だ煮え切らない態度に思えることでしょう。ただはっきりしている事は犬のように突然吠えたりする生き物が私は昔から不得手で、町内を散歩していると何度通ってもこちらの顔を覚えようとしない近所の犬に、これまた何度通っても新鮮に驚かされてしまう自分が吠え立てられるというような経験を繰りかえす内に、犬というやつに如何ともしがたい苦手意識を持ってしまったわけです。
 ジョグジャカルタに住んでいると犬や猫の他にも山羊だの水牛だの馬だのがあって、連中は猫と一緒で吠えないところが実にいい。そればかりかおっとりとした表情に控えめな眼差しで見詰められると、いつの間にやら柔らかな気分になっておりますから、それはたいそう幸せなものです。こちらでも野良犬なんぞが道端をフラフラしていることもあって、そんな時は内心穏やかではありませんが、吠えられぬようにそ知らぬ顔で目を合わさず、バイクで走り去るというような術も身に付きまして、我ながらずいぶん立派な大人になったものだとしみじみ思うのです。
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