第三章 遠吠えは闇に木霊する
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太宰治の「富嶽百景」の中でも指摘されるように、実際の富士の姿というものは「鈍角も鈍角、のろくさと拡がり」、決して北斎や広重が描くような「秀抜の、すらと高い山」ではない。その点、中部ジャワにそびえるムラピ山こそは、かの浮世絵に現れる富士の姿そのものであって、太宰風に言うならば、「なだらかにひろがつてゐる裾の割にその峰急峻で、雲付くやうに尖つたいただきは、見る者の素朴な、純粋の、うつろな心へも訴へ得る」のである。そう思えば、富士のことを駿河ムラピだとか、甲州ムラピだと呼ぶのならまだ話は分かろうものを、ムラピをジャワ富士などと言うのは甚だ手前味噌な話ではなかろうか。
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