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第三章 遠吠えは闇に木霊する
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 長過ぎる開会の挨拶に飽き飽きした人々は落ち着きなくざわめき、手にした携帯を弄ぶ。ギャラリーの奥に設置されたピアノの前に敷かれた何列かの茣蓙と、その後ろに並べられたパイプ椅子には所狭しと観客がひしめき合う。その周囲には既に準備の整った作品達が、柔らかな光を受けてたたずんでいる。会場の熱気は数機のエアコンで冷やしきれるはずもなく、ジョグジャカルタにしては珍しい熱帯の夜の蒸し暑さがそこにはあった。外では静かに雨が降っている。
 この日、早川純子、加藤真美、笠原里愛、梶浦聖子によるグループ展「東京うさぎ」がジョグジャカルタのブンタラ・ブダヤにて開会した。オープニングに彩を添える巨勢典子のピアノの演奏が始まると、細波のようにざわざわと揺れる会場は静けさに包まれていく。奏でられる音を愛で、心を満たすそのメロディーに身を委ねる者がある。鍵盤を踊る指使いを食い入るように見つめる者もいる。普段なら耳をつんざかんばかりのボリュームで音を浴びるインドネシアの人々が、ピアノの一音一音を選び取るようにして耳を傾けている。外の喧騒は徐々に遠のき、巨勢典子の音の世界が広がっていく。最後に弾いた一音が余韻を残しながら、それでもやがてはふっと消えてなくなると、会場からは静かに拍手が沸き起こる。
 演奏の終わりと共に慌しく動き出した人々は、待ちぼうけを食わされた猫のように熱心に作品を見て歩く。ギャラリー中央に吊るされた早川純子の作品は、ワヤン・フィルムとでも呼べそうなインスタレーション作品で、近年ジャワの若い世代を中心に盛んに創作される新しいワヤンとも似ている。豪奢な額にも引けを取らない加藤真美の作品は、構図や色彩などにヨーロッパ近代絵画の影響を色濃く残しながら、一定の存在感を放っている。壁に吊るされたイラストと、そこからそのまま抜け出したような梶浦聖子のブロンズ彫刻は、平面と立体という垣根を中和してその間にある何かを表現しようと試みているようにも思える。また大地震や津波、その後に続く原発の驚異に晒される日本への祈りをテーマにした笠原里愛の作品は、作家と鑑賞者、そしてその向こうに想定される日本の人々をひとつに結びつけるきっかけを与えてくれる。
 作品のクオリティーに関して言えば、作家同士はもちろん、同じ作家の作品の中でもバラつきがあり、より高い完成度が求められることは否めない。しかし、日本人女性作家4人の作り上げたこの展覧会を一つの塊として捉えれば、そんなバラつきよりも、内容の豊かさにおいて見る者を納得させるものがある。展覧会のタイトル「東京うさぎ」が今年の干支にちなんだものならば、次のうさぎ年にはより強く大きく飛躍したうさぎたちの展覧会が見られる事を期待したい。
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